パリになかなか行けなかった理由


最近の私はドビュッシーのピアノの音を聴きながらパリに思いを馳せています。
随分長いこと、遠い遠い過去に夢を捨て去って諦めていたパリ訪問を実現させるには
あまりにも時間が掛かってしまったなという思いを抱きながら
ドビュッシーの独特な音を楽しんでいます。

銀婚式記念旅行に選んだギリシャ以外の街はパリ。
私の好きなドビュッシーの暮らしていたパリです。
ドビュッシーは昨年2012年に生誕150年を迎えました。
私とドビュッシーの出会いはわずか40年前。
その時10代の始めだった私は、将来は音大に進みその後パリに留学する
と思っていた頃でした。
中学に上がったころからラジオのフランス語会話を毎日聞きながら
高校生になってからは、お茶の水にあるアテネフランセへ通い始めたものでした。
何も、誰ひとり疑うことなく、私の進路はそのようになると信じられていましたが
突然そのレールから外れてしまう大事件が起こりました。
高速道路での追突事故です。
目の前は長い長いトラック、後ろも中型のトラック・・・危うくサンドイッチになるところでしたが
追突されただけにとどまり、命だけは助かりました。

でも、その時から私の進むべき道は閉ざされてしまったのです。
多感な年ごろだったし、真っ暗でした。
何をして良いかも分りませんでした。
4歳からずっとずっと、毎日レッスンしてきたピアノが弾けなくなってしまい
ピアノどころか、毎日の学校にすら通えない整形外科への入院50日、
勉強だってどうしよう・・・私の首はどうなってしまうのだろう・・・
不安と恐怖との戦いしかありませんでした。

ドビュッシーを極めるために行きたかったパリが一瞬で遠くなり
やがて私の中でその思いを封印してしまいました。
事故から2年、私は高校3年生となり、進路などは考えられないまま時は過ぎました。
でも、何かしら目標を立てないと若い時間はあっという間に過ぎてしまいます。
ピアノは趣味として生涯残るだろうから中途半端な思いは捨てて
楽しむ音楽にしようと封印を解き始めたときに泣きながら聴いていたのは
ラフマニノフのピアノコンチェルトとドビュッシーでした。

私の父母は音大を出ている2人でした。私にピアノを教えてくれたのも両親でした。
とっても厳しかったので、レッスンを休んで良いのは元日だけでした。
365日のうちたったの1日だけです。
母はショパン派だったので、勿論ショパンも大好きですが
父はバッハやベートーヴェンを教えてくれました。
そして私はドビュッシーに憧れました。

時が過ぎ、結婚することになった26歳のころ夫と出会いましたが
夫は楽器を弾きませんがクラシック音楽にはとても詳しくて話が合いました。
楽器をこなさない分、ジャンルにとらわれることもなく、また作曲家の嗜好も偏ることなく
むしろ私には新鮮な刺激となりました。
新婚旅行の行き先を考えたとき、真っ先に夫の口から出てきたのはパリだったと記憶しています。
でも、私は諦めたパリというのをどこか引きずっていたのでしょうか、
ヨーロッパは年齢を重ねてからのほうが楽しいらしいとかなんとかいって
まったく違う南半球の島に決めてしまいました。
若い時にも行っておいても良かったかな?と今になって思います。

あの時はパリに決められなかったけれど
結婚して25年が経ち、息子も社会人となり互いの親も3人見送り、
一息つくかどうかといった今、そう、今行きましょうパリへ!となったわけです。

気持ちの中でパリはとってもとっても遠かったわけですが
いざ決まると、早く行きたくて仕方がないというこの性格は
我ながら苦笑していまします。
学ぶために行くのではないパリは・・・むしろとても近い存在となりました。
寝ても覚めても思いはパリ(笑)


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テーマ : 日記    ジャンル : 日記
 2013_12_18


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Author:silk
愛猫から始まったミレコロ日記。美麗から美月に変わり、心たんも9歳になった2016年からは、
これまでのつぶやき、旅日記に加え、タッセルの話も綴ります。

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